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      <title>カンドレ・マンドレ</title>
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      <description>井上陽水FILE</description>
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         <title>満足のいくリフォームをするために</title>
         <description><![CDATA[テレビのリフォーム番組や雑誌のリフォーム特集などで、私たちは新品同様になった家を見て、「暮らしぶりが良くなった」という印象をもちます。

リフォームがうまくいっていれば、確かに暮らしの質は高くなったといえるでしょう。

しかし、それがそのまま、みなさんひとりひとりにとっての「質の高いリフォーム」の見本になるとは限りません。

<img alt="i4.jpg" src="http://universezodiac.com/i4.jpg" width="270" height="270" />

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         <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 17:14:27 +0900</pubDate>
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         <title>2度目のデビュー</title>
         <description><![CDATA[1972年、芸名を井上陽水（ようすい）と改めて、シングル「人生が二度あれば」で再デビューします。

<img alt="Jinseiga.jpg" src="http://universezodiac.com/Jinseiga.jpg" width="230"/>

ここで陽水は歌唱に嗚咽を交えるなど、感傷を強調。

「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、これ以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになります。

5月に『断絶』がリリースされると、『断絶』に収録された「傘がない」は富澤一誠などの批評家に注目されます。

翌1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作となり、同年7月には初のライブアルバム『もどり道』がリリース。

人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしている通り、とても明るくて親しみやすい曲です。

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         <pubDate>Fri, 19 Feb 2010 11:10:23 +0900</pubDate>
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         <title>ポリドール時代</title>
         <description><![CDATA[1971年になると、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍します。

この時期、初めてのアルバム『断絶』のレコーディングを始めます。

<img alt="danzetu.jpg" src="http://universezodiac.com/danzetu.jpg" width="200"  />

このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水」と書くと言いました。

奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がこの二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てたそうです。

確かにすごくめずらしい名前ですから、インパクトありますもんね。
ご両親のセンスも良さそう・・・。

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         <pubDate>Thu, 21 Jan 2010 14:01:26 +0900</pubDate>
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         <title>これから続く友情</title>
         <description><![CDATA[アンドレ・カンドレ名義での活動は、結局シングル3枚で終わることになりました。

それでもこれらの作品では、これ以後にないような、無理をしていない甘い歌唱が聞けます。この時期のジャケット写真には、どれもサングラスをかけて、髪はなでつけて写っています。

この時期に知り合った小室等さん、安田裕美さん（六文銭のギタリスト）、星勝さん（モップスのギタリスト）、RCサクセションの忌野清志郎さんなどとはこれから長く深い交際になっていきます。

特に小室等さんからは、以後のヒットに恵まれるまでの間にさまざまな形で援助を受けていて、また清志郎さんとは「帰れない二人」「待ちぼうけ」などを共作しています。

<img alt="kiyosirou.jpg" src="http://universezodiac.com/kiyosirou.jpg" width="200" />

清志郎さんは今年亡くなってしまいましたね。

とても残念です。

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         <pubDate>Sun, 20 Dec 2009 10:14:46 +0900</pubDate>
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         <title>アマチュア経験なし</title>
         <description><![CDATA[前回までのプロデビューの経緯から、陽水自身が「僕はアマチュア経験がない」と話すように、本格的な音楽・創作活動の始まりはプロデビュー後となります。

<img alt="bob.jpeg" src="http://universezodiac.com/bob.jpeg" width="200"/>
≪ボブ・ディラン≫

この時代にデビューしたフォーク系シンガーで、アマチュアとしてほとんどライブ活動を経験してないミュージシャンは稀だそうです。作詞法で最も影響を受けたというボブ・ディランを知ったのも小室等からといいます。

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         <pubDate>Mon, 09 Nov 2009 18:13:04 +0900</pubDate>
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         <title>仕組まれた反響から</title>
         <description>そして・・・・・
（仕組まれた）反響から、「カンドレ・マンドレ」は東京で改めてレコーディングされて、同年9月1日、CBSソニーからアンドレ・カンドレのデビューシングルとして発売される・・・仕組まれていても意外といけちゃうんですね！

演奏は六文銭、編曲は小室等が担当。
陽水さんは「カンドレ・マンドレ」のヒットを確信していたのですが・・・人生そんなに甘くなく・・。（笑）

実際にはほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛と加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」（1970年）も不振に終わっちゃうんですよね～。

なので、良いこの皆さんはきちんと「努力」をしましょう！</description>
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         <pubDate>Sun, 11 Oct 2009 16:32:20 +0900</pubDate>
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         <title>アンドレ・カンドレ時代</title>
         <description>1969年6月に生活の基点を東京に移すけれど、暫くの間は、転居を転々としていたらしいです。

同じ年に、RKB毎日放送のラジオ番組「スマッシュ！！11」が放送スタート！
この番組には視聴者が作成した音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は「カンドレ・マンドレ」を自宅で録音して、テープをRKBに毎日持ち込むという粘り強さ。

この時に陽水さんは「マンドレ」という芸名を考えていたらしいのですが、「スマッシュ！！11」のディレクターの野見山実さんがあまり良く思わなかったそうで・・・芸名は「アンドレ・カンドレ」に決定。

「カンドレ・マンドレ」は「スマッシュ！！11」で放送されて、沢山のリクエストを受けます。
た・だ・し・・・リクエストは殆ど、陽水さんが友人にはがきを配布して頼んだものだったそうです。（笑）
何だか必死さが伝わってきますね＾＾</description>
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         <pubDate>Wed, 23 Sep 2009 13:01:08 +0900</pubDate>
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         <title>自信満々＆受験に失敗</title>
         <description>「帰って来たヨッパライ」（ザ・フォーク・クルセダーズ）を聞いて、「これなら自分にも出来る」と思ったそう。
以降、歌手を志す動因になったという。これなら自分でも出来るって・・・ちょっと失礼では？（笑）

1968年、再度の受験にも失敗・・。
1969年、3度目の受験に失敗・・・。大学進学を諦めて歌手に！！

でも、この大学受験での挫折の経験は人生においてのとっても大きな肥やしになったのですよ。
失敗を知る事は、成功を知る事でもありますからね！</description>
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         <pubDate>Sat, 22 Aug 2009 23:20:34 +0900</pubDate>
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         <title>1963年くらいのこと</title>
         <description><![CDATA[<img alt="31.jpg" src="http://universezodiac.com/31.jpg" width="145" height="96" />

1963年、ラジオで知ったビートルズに熱中～～。そして1966年前後に、初めて歌を作っちゃいます！
この歌は当時付き合っていた彼女を歌ったもので、短くて、題名もついていないけれど、デビュー後にはコンサートでときおり歌われる事に・・・。
彼女は、知っているのかなあ？（笑）

1967年、九州歯科大学を受験するも失敗・・・予備校へGo！
この年は小倉育英館に通ったけれど、翌年には九州英数学舘に。
浪人時代も音楽に熱中していたそう。
もう、音楽の道に行けばいいのに！]]></description>
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         <pubDate>Wed, 22 Jul 2009 23:19:58 +0900</pubDate>
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         <title>中学時代</title>
         <description>糸田中学時代にFMラジオを聴こうとしてFMアンテナを設置する際、自宅の屋根から隣の友人宅の庭先に転落した事もある。しかし無傷だったらしい。 西田川高校時代に所属していた「弓道部」では男性用の弓ではなく女性用を使っていたとのこと。その弓で昇段試験に挑んだが、会場が小高い丘の上にある田川体育館だった為、強風にあおられて矢がひどく揺れ、本人にとって悲しい結果となってしまった。</description>
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         <pubDate>Fri, 22 May 2009 23:19:23 +0900</pubDate>
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         <title>のど自慢大会</title>
         <description><![CDATA[<img alt="30.jpg" src="http://universezodiac.com/30.jpg" width="140" height="150" />
1953年、福岡県田川郡糸田町に引っ越す。以来、デビュー時の上京まで約15年間を糸田町で過ごす。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学する。 糸田小学校時代に陽水の大好きだった大きな瞳の月森先生の為に町内会の「のど自慢大会」で合格の鐘を鳴らした事がある。同時に宿題を忘れたことを帳消しにしてもらっている。]]></description>
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         <pubDate>Fri, 22 May 2009 23:19:01 +0900</pubDate>
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         <title>一男二女</title>
         <description>デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。
コンサートやテレビ番組の中でしばしばビートルズの
作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲の随所に見られる。
2人目の妻である石川セリとの間に一男二女がおり、
長女は作詞家・歌手の依布サラサである。</description>
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         <pubDate>Fri, 22 May 2009 23:17:58 +0900</pubDate>
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         <title>ミッシェル・ポルナレフ</title>
         <description>フランスのミッシェル・ポルナレフに強い影響を受けており、ポルナレフを真似てモジャモジャの長いカーリーヘアーをし、決してサングラスを取らないというスタイルを1970年代は通した。また、特徴の強い、極めて芸術性の高い歌詞と一聴しただけでそれとわかる独特の歌い方でも知られている。1976年ごろまで、歌詞は若者特有の繊細でセンチメンタルなものが多いと同時に、エキセントリックかつシュールな作風も多く、同時代の他のアーティストと一線を画した。また高く細い声を絞り出すような独自の歌い方が特徴的である。歌詞は言葉の響きを重視したものが多く、独特の発音で甘く歌う。</description>
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         <pubDate>Fri, 22 May 2009 23:17:16 +0900</pubDate>
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         <title>「いのうえ あきみ」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="29.jpg" src="http://universezodiac.com/29.jpg" width="130" height="130" />
福岡県嘉穂郡幸袋町（現・飯塚市幸袋地区）出身。本名は井上陽水と書いて「いのうえ あきみ」と読む。1970年代には吉田拓郎と双璧をなすフォークソング界あるいはニューミュージック界の最重要人物として活躍した。1973年発売のアルバム『氷の世界』は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録する。その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベストアルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持している。]]></description>
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         <pubDate>Fri, 22 May 2009 23:16:55 +0900</pubDate>
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         <title>井上 陽水</title>
         <description>井上 陽水（いのうえ ようすい、1948年8月30日 - ）は、日本のシンガーソングライター。
血液型AB型。身長178cm。

陽水の父、井上若水は福岡県の歯科医であり、元は軍医でもあった。1948年に福岡県嘉穂郡幸袋町目尾（現飯塚市）で生まれた陽水は若水の長男にして唯一の男子であり（ほかに姉1人、妹1人がいる）、家業を継いで歯科医になることを期待されていた。なお、五木寛之などにより、陽水と幸徳秋水に血縁があるとの説が唱えられたことがあるが、真相は不明である。</description>
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         <pubDate>Fri, 22 May 2009 23:15:19 +0900</pubDate>
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